私には、忘れたくても忘れられない事件があります。それは1998年1月28日全国を震撼とさせた黒磯北中学教師刺殺事件です。

当時、私はバンビという、駄菓子屋も経営しておりました。千人以上の生徒と触れ合いがあり、その中の1人、北中の生徒が「おばちゃんあの子が、ここに来ていたら、事件起きなかったと思うよ」と、涙を流したのです。 その言葉は、私の生き方を変えました。
子供たちのために何ができるか、行き場のない子供たちの心を受け止めたい、と。
 






今「らしさ」が欠けています。
 就職難、続発する兇悪犯罪、乱れた性意識、欠如したモラル、などなど、将来に托す夢の欠けらもないような殺伐とした時代に突入してしまったかのように感じるのは私だけではないはず。 
 決して伝統のルールに縛られた、らしさ、が良しとは言わないまでも
 らしさを、大切に、再考する時代に来ているのではないでしょうか。
 減点主義の日本は、プロセスより結果を重視し、、事なかれ主義を増長させてしまいました。
 教育も偏差値、点数で将来を決定、心とか、やる気とかは二の次、人を押しのけて、良い大学に進み、その結果、能面のような教師が増えてしまったような気がします。

 北中の事件は、殺された先生は生徒思いの熱心な先生と伺っています。
 熱心ゆえ生徒に注意をする。 
 結果は 死。
 事なかれ主義の先生であれば見てみぬふりをすれば何事も起こらなかったでしょう。 
 勇気ある指導が最悪の結果を招いていしまったのです。
 おばちゃん、あの子が・・・との言葉は、あの子の心の揺れを聞いてくれる人がいたら・・・。との子供たちの叫びだったのです。




 下野新聞の一面にカラーで紹介されました。


以下の内容は、左写真の下野新聞に掲載された記事より抜粋致しました。


−黒磯・教諭刺殺事件から−
第5部 扉を開けて
第8回 −受容− 勇気持って“お節介”
(1998年12月1日付)
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 黒磯市内で駄菓子屋を営む清川典子さん(50)は、中学生のハジメ(仮名)の異変を見過ごさなかった。
 今年の夏、ハジメはパンを買いに初めて店を訪れた。すがるような目付きにピンときた。

 「どーしたの?」

 「親とけんかしたんだよ。ムカついたから、ドアをけ飛ばして家を出てきた」

 「いいことあったかい?」

 「何もないよ。足が痛いだけ」

 「痛いのは足じゃなくて、ハートでしょ」。清川さんは胸を指さした。

 「おばちゃん、本当はぼく、学校に行っていないんだ」

 ハジメは家庭内のトラブルが原因で、三週間も学校を休んでいた。心配した担任が家庭訪問を繰り返すが、その度、部屋に隠れて玄関に姿を現さない。「でもおばちゃん、心配してくれる先生が本当は好きなんだ」

 「分かった。おばちゃんが(学校とハジメの)間に入ってあげる」。店の受話器を取ったおばちゃんは担任に電話をして、不登校の理由などを伝えた。

 不登校の理由を知った担任は再び迎えに行った。担任は何も言わなかった。でも二人の間には共通の理解が生まれ、笑顔で学校に行くようになった。

 「ためらっていたら、答えは出ない。その子のために行動するっていうのは、結構勇気がいるんだよ」。自称“お節介(せっかい)おばちゃん”こと清川さんは人懐っこく笑う。

 清川さんは結婚披露宴の司会業が本職。仕事の事務所として食料品販売の店舗を紹介され、衣替えの掃除をしていたら、近所のお年寄りから「遠くまで買い物に行けないので日用品のお店にしてください」と言われた。

 清川さん自身、仕事に追われ子供の面倒を十分見られなかった。長男が近くの駄菓子屋でお世話になったこともあり、「この機会に地域の便利屋になろう」と昨年九月、手探り状態で日用品も扱う駄菓子屋を始めた。

 以来、「おなかが痛い」という子供にはおにぎりを食べさせて、空腹による胃痛を防いだ上で薬を与えた。カギを忘れて家に入れない子供は親が帰宅するまで店で預かった。

 お節介にもますます熱が入り、一人ひとりの子供に声を掛けているうちに、子供からは「おばちゃん、おばちゃん」と親しまれ、相談を持ち掛けられることも。

 懐に飛び込もうと、中学生の喫煙を何度か黙認。近所からはいいうわさがある半面、不良のたまり場と陰口をたたかれ、気分がめいることもある。

 そんな時、支えは自分の子供に対する「罪滅ぼしの感情」だった、という。「仕事を理由に、二人の子供に寂しい思いをさせてしまった。同じように寂しい思いをしている子供の心を私がいやしてあげたい」

 清川さんは今日も、“百円玉のオアシス”を目指し、駄菓子屋で汗を流す。

 駄菓子屋の壁には清川さんの詩がつづってある。

 「悩んでいないで話してごらん。だれかに聞いてもらえたら、きっと心が軽くなるよ。心がちょっぴりくもったら、いつでもおいでね。悩んでいないで、いつでもおいでね」

 それは子供の心の扉を開こうとするメッセージだった。


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